2011年10月11日

MACHIDA STATE OF MIND/HIBIKI


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2011年10月08日

日本対ベトナム

日本対ベトナムをザッケローニのコメントをもとに振り返る。


「3次予選の試合の前に、ひとつトレーニングマッチを入れてほしいと頼んだ。普段のシステムではなく、違ったシステムで試合に臨んだ。もうひとつの目的は出場機会の少なかった選手をプレーさせることだった」


出場機会の少ない選手をプレーさせることは悪いことじゃないけど、後半は完全なるオールスター感謝祭の様相を呈していた。サブと主力の組み合わせなら意味もあるが、サブだけで構成されたチームは、もはや戦術も意識の統一もない烏合の衆としか言いようがなかった。


「個人的には良いところも悪いところも出た試合だと思っている。その上で、先ほど挙げた2つの目的が達成できたのではないかと思っている。ただ、課題も残ったと感じている」


たしかにいいところはあった。2つの目的、違ったシステム、出場機会の少ない選手にプレーをさせる、のうち、ともに藤本淳吾の活躍はプラスだった。細貝が長谷部・遠藤を脅かせない面ものぞかせたり(応援してるから頑張って欲しい)、伊野波・槙野といったサブ組も試せたのは大きいだろう。


「ベトナムはアジリティの能力が高く、コンパクトに日本の良さを消してきた。彼らの戦いぶりもあってパスミスが多くなった。試合開始前から予想されていたポゼッションは握っていたが、最後の精度のところで問題があった」


ベトナムはとてもよいチームだった。以前、2007アジアカップでそのポテンシャルの片鱗と未来への可能性を垣間見せていたが、本当に楽しみなチームだった。しかし、日本はアジアのチャンピオン。日本の良さを消してきたことに対する修正を、時間内にできたのかどうかが非常に問題。



「良くなかったところは、スタートのポジション。システムに慣れていないところもあり、正確ではなかった。しかし、代表はクラブチームではないので、選手たちを焦らせる気はない。ただ外部が3−4−3システムについて焦らせようとする動きがある。私としては柔軟にシステムを変えていけるようなチームを作って生きたい。オフザボールの動きも課題となった」


システムに縛られないと言っても、システムのせいで、ポジショニングに問題が生ずる場合があって、左サイドの槙野、長友、香川あたりは前半、窮屈そうに見えたね。システムうんぬん以前に、ポジションを高くとるかいなか、ここの連携と約束事は徹底しておくべき。



「良かったのは、まずサイドのところで数的優位を何度も作れたところ。藤本がバイタルで前を向けた。藤本、香川がスペースの裏に飛び込めた。最後のパスやシュートの精度に課題が残るが、その点は良かったと思っている」


いいイメージがわいた。チャンスこそさほど多く作れなかったが、攻撃のオプションとして収穫はあった。オフザボールでの動きが活発になれば、さらに生きてくるであろう。


「今日のように自陣に引いてブロックを作ってくる相手に対しては、フリーにボールを持つことは容易ではない。今日の試合に関しては駒野、香川など、後半は原口が比較的自由にプレーできたのではないかと思う」


原口も持ち込んでシュートという「らしさ」を一発みせてくれたので及第点。


「繰り返しますが私は特にシステムの完成に焦っていない。就任してから1年が経つが、4−2−3−1というシステムをベースにやってきたし、よくやっている。しかし、将来を考えたときに、日本は常に研究される存在であるため、読みづらいチームを作っていく必要がある。だから試している」


本音を言うなら脱本田路線で考えたときに、4−2−3−1が機能しないことが明確になったから。本田の代わりを求めるのではなく、本田不在時は、本田不在フォーメーションということ。本田がいる場合の3−4−3? それは難しいね。香川か本田の取捨選択になっちゃうよ、きっと。



「特に完成させる時期も決めていないし、徐々にチャンスがあれば精度を高めていきたい。新聞などを見ると、3−4−3だとか、数字がよく書かれている印象があるが、それは皆さんが書いているだけで、3−4−3にこだわっているわけではないし、4−2−3−1も持っているわけです。だから新しい武器を持ちたいという意図です」


まあ、たしかに数字なんだけど、4バックか3バックかというとこだけは重要。前のほうがどうであれば、後ろのラインを2パターン持つことが重要で、武器としていきたい部分なのだと思う。















まずは、タジキスタン戦での勝ち点3を。

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2011年10月03日

尾崎ハウス

尾崎ハウス
建て直しですって。
なくなってしまうんですねー。








 

 80年代に「ティーンエージャーのカリスマ」として絶大な人気を誇り、92年に急逝した歌手尾崎豊さん(享年26)をしのぶ場所としてファンに愛されてきた東京足立区の民家、通称尾崎ハウス」が今日3日、取り壊される。尾崎さんは亡くなる直前、この家の庭で倒れているのが発見された。以来19年間、全国から訪れるファンの交流の場として、住人の小峰忠雄さん(72)が家の一室を開放していたが、このほど老朽化などから建て直すことに。見納めとなった2日は、次々とファンが訪れ「聖地」に別れを告げた。

 静かな住宅街の一角にある「尾崎ハウス」では、翌日の解体を控え、小峰さんらが家具などの搬出作業に追われていた。尾崎さんのポスターやパネルで埋め尽くされていた6畳間にはもう何も置かれていない。小峰さんにとって思い出が詰まった家だが、築65年以上の老朽化もあり、息子夫婦との2世帯住宅に建て替えるという。

 92年、庭の片隅で傷だらけで倒れている尾崎さんを小峰さんの妻が見つけた。尾崎さんは救急搬送されたが、その日のうちに死亡。以後、花束などを持って訪れる多くの人のため、小峰さんは家の一室を開放した。いつしか家は「尾崎ハウス」と呼ばれ、ファン同士の交流の場になった。19年間でファンが書き込んだノートは70冊以上に及んだ。

 最近は訪れる人の数も少なくなったが、取り壊しが決まってからは、再び1日10〜15人は来るようになったという。意外なのは「さみしい」という声より「ありがとう」の声の方が多いことだ。「先日は宮城被災者の方から花束が届いた。お疲れさま、と言ってくれる人もいる」という。

 この日も、ハウスに最後の別れを告げようと次々とファンが訪れた。練馬区の中原宏恵さん(44)は「1度来てみたかった。(尾崎さんは)大人に反発したい気持ちがあっても言えない当時の若者の代弁者のような存在だった」。夫、2歳の娘とともに家族で訪れた葛飾区の工藤真理さん(29)も「最後に来れてよかったです」と話した。

 小峰さんによると、これまでハウスを訪れた人は「数え切れない」。米国からアルバイトでためたお金で訪ねてきた日本人2世もいた。「尾崎さんのおかげで多くの出会いがあった。1度来た人の顔をみんな覚えてる」。ノートやCD、ポスター類はファン有志団体に預け、来春完成する新居に開放できる部屋はない。「もう『卒業』してもいい時期だ。今後はそれぞれの心の中で尾崎さんを悼んでほしい」。小峰さんはさみしげにつぶやいた。【石井康夫】

 ◆尾崎豊(おざき・ゆたか)1965年(昭40)11月29日、東京都生まれ。83年にシングル「15の夜」でデビュー。以後「十七歳の地図「卒業」など、10代の苦悩や心の叫びを歌詞に乗せた曲でヒットを連発し、若者のカリスマ的存在に。92年4月25日早朝、足立区の小峰さん宅の庭先で、泥酔し全裸で倒れているのが発見され、病院に運ばれたが同日中に死亡。ファン葬には4万人以上が参列した。

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